名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)2576号 判決 1981年3月06日
原告
甲野一郎
右訴訟代理人
平野保
外三名
被告
重冨克美
右訴訟代理人
水口敞
外四名
被告
岩田金治郎
右訴訟代理人
田島好博
同
太田耕治
主文
一、被告両名は原告に対し、連帯して金一、〇五二万五、七六一円及びこれに対する昭和四八年一二月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告両名の負担とする。
四、この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実
第一、当事者の求めた裁判
一、請求の趣旨
1 被告両名は、連帯して原告に対し、金二、三六九万五、五八四円及びこれに対する昭和四八年一二月八日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告両名の負担とする。
3 仮執行宣言
二、請求の趣旨に対する被告らの答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二、当事者の主張
一、請求原因
1 被告重冨克美(以下「被告重冨」という。)は、精神神経科を診療料とする香流病院(のちに守山十全病院となる。以下「被告病院」という。)を経営するもの、被告岩田金治郎(以下「被告岩田」という。)は被告病院に雇用され、同病院のなす医療業務に従事していたものである。
2 原告に対する精神外科手術の施行及びその結果
(一) 原告は、昭和四三年当時、愛知県知立市内に居住していたところ、その居宅が名鉄電車軌道と国道一号線に近いため騒音に悩まされ、しばしば不眠症に陥つていた。原告は、同年一〇月二日夜も寝つかれぬまま、睡眠薬を求めて安城厚生病院の野村医師を訪れたが、同病院が閉つていたため、仮眠する場所を探して安城警察署を訪れ、同署内のベンチで仮眠することとした。しかし、原告が、誤つて同署の窓ガラスを割り手に裂傷を負つたこともあつて、同署留置所に移され、同所で休んでいたところ、翌三日朝、同署を訪れた被告病院の丸山婦長、早川、生山両看護人から赤い錠剤を飲まされ意識不明とされたうえ被告病院に収容された。
(二)(1) そして、昭和四三年一〇月一九日被告病院今井泰晴医師が、同月二九日同村田貞代医師が、それぞれ原告に対し、精神衛生法上の措置入院の要否を判断するために精神鑑定をなし、今井医師が精神分裂病の疑い、村田医師が精神分裂病、との各診断を下し、被告岩田は、右各診断を受けて、同年一一月二五日、翌四四年二月二二日の二度にわたり、原告に対し精神外科手術(以下「本件手術」という。)を施行した。
(2) 原告に施された本件手術は、ロベクトミー(前頭葉白質皮質切除術)と呼ばれるもので、前頭葉の白質を切截するだけの手術(狭義のロボトミー)ではなく、白質のほか皮質をも切除するものであり、原告は本件手術によつて、前頭葉の白質及び皮質を広範囲に除去された。
(三) 原告は、本件手術により左記の後遺症に悩まされ、その病状は現在に至るまで悪化の一途を辿り、将来更に進行することが予想されている。
(1) 器質的、身体的影響について
(ア) 脳に直接的な侵襲を受けたため、脳室の拡大、脳委縮並びにくも膜下腔の拡大、前角の左右不同等の症状が現われている。
(イ) 強度の高血圧症となり、本件手術当時九〇ないし一四〇前後であつた血圧が、昭和四八年六月頃には最高血圧において一八〇前後に上昇し、その後も上昇を続け、昭和五一年には二五〇にも達した。その後は血圧降下剤により一七〇ないし二一〇位に押えられてはいるものの、きわめて危険な状態にある。
(ウ) 肥満体質となり、体重の異常な増加が見られる。本件手術直後六四キログラム位であつたのが、昭和四五年五月には八二キログラムと増加し、現在は一〇〇キログラムを超えようとしている。そのためもあつて、疲労が激しい。
(エ) 協調運動が不良となり、ころびやすく、敏捷性に欠ける。
(オ) 頭痛に悩み、不眠状態にある。
(2) 精神的、人格的影響について
(ア) 全体的状況把握が困難となり、一般的な対人関係を持つこともできず、計画性もなく、人間としての高度な精神活動が出来ず、具体的なこと、目先のことしか考えられない状態となつている。
(イ) 活力も減退し、根気、自発性もなく、作業能力も極度に落ち込んでいる。特に最近は肉体的な条件もあり活力の減退傾向が著しい。
(ウ) 気分、感情面が不安定かつ平板化し、自制心も欠如し、欲求が容れられないとすぐ怒るが、又すぐ忘れ、人なつこく、依存的になるなど変化は著しい。また、繊細な感情もかなり喪失している。
3 本件手術の違法性
一般に人体に対する外科的侵襲が医療行為として違法性を阻却されるためには、(1)治療の目的を有すること(2)当該治療の時点で医学上一般に相当なものとして承認されている方法によること(3)患者の有効な承諾の下になされること、の要件が全て具備されなければならない。然るに、本件手術は左記のとおり右要件のいずれをも欠いた違法なものである。
(一) 医療目的の不存在
(1) 精神外科は、元来、患者の精神的疾患を治療し患者の精神的健康を回復させるものではなく、患者の反社会的行動・性格を、脳に対する非可逆的な外科的侵襲によつて防止・除去しようとするものであるから、医療ないし治療行為ということはできず、社会の治安・安全を防衛するための保安処分と看做すべきである。
そして、現行法上、保安処分として個人の生命・身体・自由に対し侵害を加えるには法律上の根拠が必要とされているが、精神外科を許容する法律は全く存せず、従つて、精神外科は違法というべきである。
(2) 仮に、精神外科の全てが違法といえなくとも、本件手術は、被告病院が病院管理の観点から原告の反社会的言動を鎮静化し、監護を容易にするため等の非医療的な目的で施行されたのであるから違法である。
(二) 医療行為としての相当性の不存在
(1) 精神外科は一九三五年ポルトガルの精神科医モニッツが精神病の治療に施行したのを端緒として、米国その他の諸外国に拡がり、術式も種々改良され国際精神外科会議が開催されるなど全盛期を迎えた時期もあつた。
(2) 然るに、一九四七年スウェーデンのライランダーが術後の好ましくない性格変化を理由に安易な実施に警告を発したことを契機に、適応症の再検討、術後の人格変化、奏効メカニズムの問題などあらゆる面において反省期に入つた。
(3) わが国では、一九三八年(昭和一三年)新潟大学外科教室が初めて精神外科を実施し、一九四八年(昭和二三年)頃から精神神経学会等における演題発表や論文も急速に増加し、一九五〇年(昭和二五年)頃全盛期を迎えたが、一九五五年(昭和三〇年)頃に至り、精神外科の大脳に及ぼす影響は単に切截部分のみではなく、周辺のより広範な部分にまで及び、時間の経過により更に一層拡大すること並びに手術による死亡の危険・出血・けいれん発作・てんかん等の後遺症及び非可逆的な好ましからざる人格変化を来たすこと等の身体・精神両面に及ぼす悪影響が病理解剖学的にも明らかとなり、しかも、右手術の奏効メカニズムや適応症についても術者によつて見解が分れるなどして確立できないこともあつて、精神医学界内部に右手術は人間の大脳、特に前頭葉機能の解明という人体実験的性格を帯びた性質を有するにも拘らず、濫用されていたのではないかとの批判や反省が起こり、論文数のみならず、手術数自体も減少し、一九六〇年(昭和三五年)以降ほとんどの精神病院において精神病の治療法としては放棄されるに至つて一挙に衰退し、昭和五〇年五月には日本精神神経学会が患者を鎮静化させるなどの不法な目的のため利用することを禁止し、精神医療の現場から完全に放逐するため、精神外科を医療行為とは認めないとの決議を為すに至つた。
(4) 以上の経緯より明らかなように、精神外科は本件手術の行なわれた昭和四三年、四四年当時の精神医学界では、すでにその治療法としての相当性は否認されていたのであるから、本件手術は当時の医療水準に反して為された違法なものである。
(三) 適応症外の手術であること
精神外科が一定の場合に許容されるとしても、当該患者が右手術の適応症に罹患していることを確定することが当然に必要と解されるところ、被告病院においては精神科を専門外とする非常勤医師を担当医として配置しているなど原告に対する治療体制は確めて不備であつて、入院後の診察、治療は殆んど施行されておらず、原告の病名を特定するための確定診断もなされていなかつた。しかも、被告岩田は、今井、村田両医師の精神鑑定書を根拠として本件手術を実施しているが、そもそも右鑑定結果は精神衛生法上の強制入院たる措置入院の要否判断の資料でしかなく、それ以上に手術の要否判断の根拠とできないうえ、原告に対し精神分裂病の疑い、あるいは精神分裂病との診断を下しているものの、精神医学的症状の記載を欠いたり、右症状の具体的かつ詳細な分析を怠つているなど、右各診断には重大な誤りがある。従つて、本件手続は確定診断を欠き、適応を誤つた違法があるというべきである。
(四) 療法の選択順序の誤まり
精神外科が許容される場合があるとしても、前記術後の後遺症・副作用に鑑みるならば、薬物療法、痙攣療法、精神療法、作業療法等のより基本的な他の療法を十分に試み、これらによつてもなお効果が全く期待できず、かつ、精神外科を行わねばならぬ緊急性の存する場合のみ、許容されるというべきである。
然るに、被告病院は、原告の入院後、向精神薬としてヴィンタミンを投与したのみで経過を追つてその効果を十分に確めるなどの措置を講ずることなく、また、他の向精神薬の投与や精神療法、作業療法、痙攣療法を行うことなく、精神外科の実施を決定した。
(五) 有効な承諾の不存在
一般に手術は生体に対する医的侵襲であり、肉体の一部ないしその機能に損傷を生ぜしめるものであるから、手術施行者は患者に対し、生命に差し迫つた危険があり、かつ患者の同意を得ることができない等の特別の事情が存する場合を除いて、手術の内容、その効果及び後遺症の発生の有無、その内容等を患者が適切な判断を下し得る程度まで説明し、かつ患者の承諾を得るべきである。
しかも、本件手続は、脳に対する医的侵襲という人間にとつて最も大切な部位の手術であるから、手術内容等の説明は他の手術に比し十分になされるべきであつたところ、被告らは原告に対し右の説明義務を一切尽さず、かつ原告の承諾も全く得ていない。また原告が精神病者であつたとしても、原告には承諾能力は十分あつたのであるから、原告の父親の承諾をもつて原告の承諾に代えることはできないものである。
4 被告らの責任
被告岩田は、前記の如く、本件手術によつて、故意に原告を傷つけ不治の病を与えたものであるから民法七〇九条により、被告重冨は被告岩田を雇用するものとして同法七一五条により、それぞれ原告が蒙つた損害を賠償する責任がある。
5 損害
(一) 逸失利益
金五、五二八万〇、九一二円
<中略>
三、被告らの反論
1 被告両名
(一) 本件手術は医療行為として相当性を有すること
一九四〇年代に開発・施行されていた標準式ロボトミー(両側頭部に開けた穴から脳切離用のメスを入れて前頭葉を切截する術式)は、切截部位を直視下におかない術式であつて、いきおい勘に頼る手術とならざるを得ず、切截部位の範囲も不確定となり、術後に知能の低下、人格の平坦化等の後遺症を招来するとの批判を受けて次第に衰退したが、その後右後遺症は前頭葉の外側部に切截が及ぶことが原因で、前頭葉の内側及び眼窩より前頭葉を限定的に切截する術式においては、ほとんど後遺症らしきものを発症せしめないことが判明し、一九五〇年代には、ボッペンの両側前頭葉内側手術(前頭葉内側面のみを開頭法により直視下で切截する術式)などの改良的・選択的手術が出現、施行された。そして、一九五二年向精神薬が開発され各国に普及するにつれ、精神外科の実施は減少したものの、一九六〇年代に入り向精神薬も精神病の治療に万能ではないことが明らかとなつて、精神外科が精神病の治療法として見直されるに至つており、わが国においても、本件手術の行われた昭和四三、四四年当時の精神医学界においては、その濫用を避けるとともに、適応症を確定し、改良手術によつて手術部位を限定して実施すべきであるとの制約のもとに、有効な治療行為として確立していた。このことは、精神外科が社会保険診療報酬点数表の手術の部に脳手術として記載され、健康保険上も適法な手術として認められていることからみても明らかである。
被告岩田のなした本件手術は、ほぼボッペンの両側前頭葉内側手術の方式に則り、直視下に前頭葉内側の下部四分の一の部位にして帯状回近くの白質に限局し、吸引法により必要部分を極く微量吸引する手術であつて、当時の医学水準に反するものでないことは明白である。
(二) 原告の症状は本件手術の適応症であつたこと。
被告病院は昭和四三、四四年当時一〇名を超える精神科医を擁し、精神病の診断、治療に万全の体制を敷き、原告に対しても受持医の加藤勝也医師のほか同病院長の被告重冨、顧問の川端純一、副院長の今井泰清らも加わつてより高次な医療の実現を図つていた。そして、本件手術の実施に先だち、被告重冨と同岩田は、左記の原告の生活歴、現病歴等を十分に検討したうえで、原告の症状が精神外科の適応症であることを確定した。
(1) 原告は、高校入学後、不良の徒と交遊して二学年で中途退学し、爾来無為徒食の生活を送り、一八才のときに強盗未遂事件をおこしたのを始めとして、以後脅迫、恐喝、器物損壊等の犯罪を幾度となく重ね、被告病院へ入院するまでに、五回にわたつて宇都宮、名古屋、府中の各刑務所にて服役し、その服役期間は通算して約一〇年を数えるに至り、長期間の拘禁生活の繰返しによつて精神の異常を来たし、刑務所在監中から独房拘禁を希望して独房作業に従事するなどしていた。そして、被告病院に収容される前の昭和四三年九月二一日府中刑務所を出所したにも拘らず、行動の自由が与えられると却つて不安感を抱き、頭重と不眠に悩み、再び刑務所などの閉鎖施設への入所を強く希望するようになり、それを実現するため出所後わずか四日後に安城警察署知立警部派出所において署員と相談中机上のガラス板を叩くなどして暴れ刈谷病院に収容されたが、三日後に退院となつてその目的を遂げることができず、再び警察署の器物を損壊して刑務所に入所することを考え、同年一〇月三日安城警察署内で暴れ、被告病院に収容されたのである。
(2) 愛知県知事より精神衛生法二七条一項に基づき精神鑑定を命ぜられた今井、村田医師は、昭和四五年一〇月一八日、同月一九日それぞれ原告を診察し、いずれも原告に暴行、自傷、器物損壊、侮辱等の問題行動の存在を認め、精神分裂病の疑い、あるいは精神分裂病との診断を下した。
(3) 被告病院入院後においても、原告は「刑務所を出てから眠れなくなり、自分の家にいると死ぬような気がするので警察へ行き、閉鎖施設への収容を希望した。」、と述べたかと思うと、「施設(病院)からの退院の希望は自分の意思によるものです。」、「刑務所を出たばかりだからやりたいことがある。」などと言い出し、「ではなぜ警察へ行つたのか」との問いに対しては、返答に窮するなど、原告には妄想気分、関係妄想、自閉症状のほか応答にもやや滅裂性が窺えたほか、「病棟の中にいると落ちつかず、死にそうになり、ガラスを割りそうになる。」などと訴えたり、詰所の床へ横になつて動こうとしないばかりか、部屋に帰るように指示されると「幽霊になりそうだから独房に入れて欲しい。」「保護室に入ると気持が落ちつく。」と述べるなど異常な行動がめだつた。
(三) 原告の父親の承諾
原告の父親甲野太郎は、昭和四三年一〇月三日被告病院において、原告が同病院に収容されることを希望して入院同意書を作成し、精神衛生法第二三条に基づき原告につき精神衛生鑑定医の診察及び必要な保護を愛知県に申請したほか、本件手術の前に、被告病院に対し右手術の実施を承諾した。
2 被告岩田
(一) 本件手術の適応症診断義務について
(1) 医学は専門化し、医師に対して専門以外の分野について診断、治療を求めることは困難になつており、特に精神科のように診断、治療行為が長年の経験に基づく直観に頼る部門では、専門医以外の医師が診断、治療することは不可能である。従つて、本件手術の実施に際しては、精神科医に原告の治療経過を検討し本件手術の適応症の有無の診断をなすべき義務があり、脳神経外科医たる被告岩田は、右診断結果を尊重して外科医の立場から原告が本件手術に耐えられるか否か、手術の時期、術式、部位について判断すれば足り、それ以上に精神科医の診断等を検討して適応症の有無を判断すべき義務はない。
(2)(ア) 仮に被告岩田が精神科医の治療経過及び診断につき判断すべきであつたとしても、それは精神科医以外の医師がみても右治療経過及び診断が相当性を欠いていることが明白な場合に限られると解すべきである。
(イ) ところで、被告岩田は、昭和四三年一一月一八日鑑定医村田、同今井から本件手術の依頼を受け、その実施に先だち左記の確認をなした。
(ⅰ) 各担当医と面接し、原告が精神分裂病であること、向精神薬の大量投与を入院直後より継続しているが効果が顕われないこと、心電図の所見から原告は心筋障害に罹患しており、電気痙攣療法は不可能であること、原告には著しい知能の低下がないことから精神外科が成功すれば社会生活に適応しうる可能性の高いこと等の説明を受けた。
(ⅱ) 受持医の加藤医師に本件手術の確認をし、その賛同を得た。
(ⅲ) 原告のカルテ及び同添付の前記両鑑定医作成の鑑定書を調査し、ケースワーカーの面談のほか各種の検査により、原告に対して精神分裂病、あるいはその疑いとの各診断が下されていることを確認した。
(ⅳ) 脳波その他本件手術を実施するについての健康状態を検討したが、何ら問題はなかつた。
(ウ) 以上の各調査の結果、脳神経外科医たる被告岩田から見て被告病院担当精神科医の治療経過及び診断が明白に相当性を欠いていたものとは認められなかつた。従つて、村田医師ら要請に応じて本件手術を施行した被告岩田に過失はない。
(二) 療法選択の順序について
精神外科は、患者の人格がさほど崩壊していない適期に薬物療法等の他療法と併用して実施されれば著効を示すものであるから、他の療法を全て尽した上での最後の手段として実施されるべき療法ではない。
(三) 説明と承諾について
(1)(ア) 患者に対し如何なる治療を行うかは治療全般を担当する入院先病院の自由裁量にあるから、被告病院が患者に対し手術の説明を行い、その承諾を得るべきものであつて、手術のみを依頼された執刀者たる医師には、改めて患者に対し手術の説明を行い承諾を得る義務はない。
(イ) 被告岩田は、被告病院が原告に対し本件手続の説明を行い、かつその承諾を得たものと信じて本件手術を実施したもので、何ら過失はない。
(2) 仮に被告岩田に本件手術を説明すべき義務があるとしても、原告は事前に被告病院より本件手術の説明を受けて手術の内容を了承していたものであるから、執刀者たる被告岩田において改めて細かく説明する必要はなく、本件手術が脳手術であること及びその目的が精神病の治療にあることを説明すれば足ると解すべきところ、被告岩田は本件手術の実施前に原告に対し右の二点につき説明し、原告から「よろしくお願いします。」との承諾を得て本件手術を開始したものであるから、被告岩田には右の点につき何ら過失はない。
3 被告重冨
原告の精神分裂病の症状では、本件手術前に試みられていた薬物療法はもちろんのこと、精神療法、作業療法のいずれも治療として有効性を持たず、また原告の冠不全に伴う心筋障害から痙攣療法も実施できなかつたのであるから、本件手術が唯一の残された治療法であつた。
第三、証拠<省略>
理由
一被告ら
被告重冨は精神神経科を診療科とする被告病院を経営するもの、被告岩田は被告病院に雇用され、同病院のなす医療業務に従事していたものであることは、当事者間に争いがない。
二本件手術の施行及びその内容
1 <証拠>によれば、原告は、昭和七年九月二〇日東京都豊島区駒込一の一〇において、父甲野太郎、母甲野花子の五人兄弟の第三子として出生したが、五歳の頃母を亡くしもつぱら父方の祖母に養育され、小学校卒業後旧制商業学校に進学したが、昭和二〇年四月空襲によつて居宅が焼失したため、親に従つて愛知県知立市(当時の愛知県碧海郡知立町)へ疎開し、第二次世界大戦終了後岡崎商業高校に進学したが、二学年で中途退学し、その後親戚の家業に従事したこともあつたが、賭事を覚えて不良化したこと、昭和二五年頃東京に出て水道工事店に勤務したものの、生来の根気のなさから長続きせず、その後一時知立市に戻つたりしながら、調理師、土方等の職を転々とし、その間に、東京のやくざとも交わり、同年頃強盗未遂事件を起こして以来約六回にわたり窃盗、恐喝等の犯罪を重ね、宇都宮刑務所、名古屋刑務所、府中刑務所等において通算約八年服役し、昭和四三年九月二一日府中刑務所を刑期満了で出所したこと、府中刑務所出所後父親の言に従い、知立市の父親の居宅の傍の家屋に単身居住し始めたが、刑務所服役中から雑居房を嫌がり、独房生活を希望し静穏な環境に馴れ親しんでいたことに加えて、右家屋が国道と名鉄電車軌道の間に挾まれて騒音が激しかつたため、頭重、不眠に悩まされるようになり、同月二五日頃、安城警察署知立警部派出所に身の振り方を相談に赴いたものの、理由もなく署内で暴れたことから精神病院である刈谷病院に収容されたこと、しかし、同病院での診察の結果精神病ではないとのことで帰宅させられたが、同年一〇月二日夜泥酔の状態で再び安城警察署に相談に赴き、署員が相談に乗つてくれぬと言い出して、突如暴れ出し、署内のガラス戸を破壊したこと、そこで、安城警察署は翌三日午前三時頃保健所と相談のうえ、被告病院に連絡したところ、同病院の担当者らが右警察署に赴き、原告のイソミタール等の静脈注射を打つて眠らせ被告病院に連行したこと、同日安城警察署から原告の父親に右事態の連絡が入り、同人は被告病院に赴いて原告の入院に同意し、入院(仮入院)同意書に署名押印し、更に、精神衛生法二三条に基づき原告につき精神衛生鑑定医の診察及び必要な保護を愛知県知事に申請したことが認められ<る。>
2 <証拠>によれば、原告は、被告病院に連行されたのち、直ちに同病院精神科閉鎖病棟に収容されたこと、同病院のケースワーカー中村某は昭和四三年一〇月三日原告の父親と、同月五日原告と、それぞれ面接して原告の生活歴、家族関係、既応症等を聴取したこと、その頃愛知県知事は精神衛生法二七条一項に基づき同病院に勤務する医師で精神衛生鑑定医の資格を有する今井泰清、村田貞代両医師に原告の診察を命じたこと、そこで今井医師は昭和四三年一〇月五日中村の右聴取結果を参考にしながら原告に問診を実施し、精神分裂病、慢性酒精中毒、神経症、精神病質との鑑別診断を下し、更に同月一八日県の精神衛生吏員の立会いの下で再度原告に問診を実施したうえ、おもな精神障害を精神分裂病の疑い、合併精神障害を酒精嗜癖との診断を下し、その旨の精神衛生鑑定書を作成したこと、村田医師は同月二九日県の精神衛生吏員の立会いの下で原告に問診を実施し、おもな精神障害を精神分裂病、合併精神障害を嗜酒癖との診断を下し、その旨の精神衛生鑑定書を作成したこと、そして、右両鑑定書とも原告に暴行、自傷、器物損壊等の問題行動の存することを認め、措置入院を必要とするとのことで一致していたこと、その結果、県知事は右精神衛生鑑定医の各診察に基づき同法二九条一項により原告を被告病院に措置入院させたこと、その後、被告病院に非常勤で勤務していた脳神経外科医たる被告岩田は村田医師から原告が精神分裂病で非常な暴発行動をなし妄想も見られるとのことで本件手術の依頼を受け、同年一一月二五日原告の左頭部に、翌四四年二月二二日右頭部に、精神外科手術を実施したことが認められる。
そして、<証拠>によれば、本件手術の内容は、いずれもまず剃髪後、両眼の瞳孔、あるいは冠状縫合線を一応の目標とし、鋭利な骨膜拳上器で横に頭皮を切開し、腱膜を剥離して開創鈎を挿入し、特製円鋸で直径約三センチメートルの円形骨片を取除き、露出した脳膜をさらに切開し、そのうえで脳室穿刺針を挿入して脳室の前方であることを十分確認したうえ、直径2.5センチメートルの皮質切開を加え、脳表面を観察しながら右脳室穿刺針の進入路に沿つてランプのついた脳ベラを挿入し、次いで細い金属性吸引器を同じく右脳ベラの面に沿つて挿入して、脳内側の帯状回の白質を微量吸引したものであることが認められる。
ところで、原告は、本件手術は前頭葉白質及び皮質を広範囲に除去するロベクトミーである旨主張するが、次に認定するように、右主張は採用できない。
<証拠>によれば、脳に外科的侵襲を加えて精神障害を改善しようとする治療体系を精神外科、あるいはロボトミーと総称しているが、各術者により、大脳半球外套を全部を除去する大脳半球剔除術、大脳の前頭葉、側頭葉などの広範な部分を切除するロベクトミー(頭葉切除術)、前頭葉その他の広範囲の大脳皮質(神経線維の束)を脳ベラで切断するロボトミー(頭葉白質切截術)、より狭い範囲の大脳白質を吸引器で吸い取るロイコトミー(白質切除術)、大脳皮質(神経細胞群)の一部を切除するトペクトミー(皮質切除術)、大脳核(大脳深部の神経細胞群)に定位脳手術装置で針電極を挿入して電気的に焼灼破壊する定位脳手術等様々な術式が提唱されており、必ずしも用語の使用が統一されていない面があるにしても、一般的には、狭義の意味のロボトミーとロベクトミーの違いは、前者が大脳皮質を切截する術式であるのに対し、後者は大脳白質のみならず皮質をも広範囲に除去する術式であることが認められる。
そして、<証拠>によれば、被告病院作成の原告に関するカルテのうち、第一回目の本件術日である昭和四三年一一月二五日の欄には大脳の図が記載されその前頭葉のかなりの部分に斜線が引かれ、「Lobectomy」なる用語が付されていること及び第二回目の本件手術日である翌四四年二月二二日の欄にも同じく「Partial Lobectomy」なる用語が記載されていることが認められるが、<証拠>によれば、前記斜線部分に該当する前頭葉が切除された場合には、相当な前頭葉脱落症状を生じて脳室が空虚となるか、あるいはその空虚となつた部分に脳実質が生理的に修復するとしてもその部分の組織形態が変化することが認められるところ、<証拠>によれば、原告の頭部をコンピューター断層法(レントゲン吸収値をコンピューター計算してその値を濃淡の像で再現したもの。)で撮影した結果では、左側シルビウス裂、側脳室の右前角が軽度に大きいといいうる余地は存するものの、右程度では未だ病的な症状とはいえず、かつ前頭葉の前部前々頭葉に部分的に低吸収値の部分があるが、その前方には正常な所見を示す脳実質像が出ていることから、右低吸収値部分は脳の部分的切れ込みの治癒部分を示していることが認められ<る。>従つて、右認定事実を総合すると、原告の前頭葉が前記カルテの大脳の斜線部分の如く広範囲に切除されたものとは到底判断できず、また証川清の証言中には、<証拠>(原告の頭部を気脳法によりレントゲン撮影した写真)の所見から原告の脳室の拡大及び脳の萎縮が存する旨の供述分部が存するが、右供述部分は前記認定事実並びに<証拠>に対比してにわかに措信できない。従つて、前記カルテの各記載をもつて直ちに原告の右主張を裏付けるものということはできない。
三本件手術後の原告の諸症状の発生原因
1 <証拠>によれば、原告は、本件手術後も被告病院に収容されていたが、昭和四六年一月頃被告病院を仮退院したまま同病院に帰らず、同年五月頃、恐喝罪を犯し懲役二年を科せられ、府中刑務所にて服役していたところ、昭和四八年に開かれた精神神経学会で精神外科の人体実験問題が討議されたことを新聞で知り、出所後東京大学附属病院石川医師に対して精神外科を実施された旨の手紙を書き、同年六月頃同病院で検査を受けたのち、名古屋に戻り、名古屋市立大学病院で睡眠障害の治療を受け、その間父親ら周囲の助力によりパチンコ屋、うどん屋などにも勤めたが、右睡眠障害等の症状の悪化したこともあつて、昭和五〇年一月頃再び東京大学附属病院に入院して各種の治療を受け、現在では生活保護を受けながら同病院精神科外来へ通院しているが、本件手術以後から現在に至るまでの原告の症状は、次のとおりであることが認められる。
(一) 身体的症状
二回にわたる本件手術直後いずれも三七度ないし三八度の発熱がみられたものの、約一〇日間位で消褪し、以後原告主張の請求原因1(三)(1)の(イ)ないし(オ)の各症状を呈しているが、前記のとおり、病的な脳室の拡大及び脳萎縮は認められない。
(二) 精神的症状
原告主張の請求原因1(三)(2)の(ア)ないし(ウ)の各症状のほか、次の症状を呈している。
(1) 本訴提起後の昭和四九年頃、原告は被告病院に赴き、前記入院中部屋長を勤めいばつておれて楽しかつた等と述べて入院の申込みをなした(但し、同病院から係争中であることを理由に入院を拒否された。)。
(2) 凝り性で同じことをしつこく何度もくり返す。
(3) 手紙とか話し方に強迫的なところがある。
(4) ある程度まとまつた金銭が入つても賭事で一挙に使つてしまい、金銭のなくなつた後の心配を全くしない。
(5) 昭和四六年一二月頃、前記恐喝罪により第一審判決を受けて府中刑務所に入所中、被告病院に対し、控訴審において精神障害による心神喪失状態の際の犯行である旨主張する必要から、精神障害者であることの診断書の送付を依頼する等の事情を通常人が用いる程度の漢字を使用して便箋五枚に記載し、それを郵便の方法で送付した。
(6) 昭和四九年頃開催された精神神経学会において、数分間にわたり精神外科の手術を受けて以来各種の障害に苦しんでいる等を訴えたほか、精神外科を告発する内容の文書を作成して配付した。
(7) 昭和四九年頃、交通事故に遭遇したことからその加害者に対し、中京合同法律事務所の名前を詐称して電話をかけ、示談に関する交渉をなした。
右認定事実によると、原告の現在の精神状態は、知的能力に障害を生じているものとは考えられないものの、人格的には怠惰・無節操・無抑制・単純軽薄・偏執で即物的かつ幼児化しており、人格の退行化現象を呈しているものというべきである。
2 前掲甲及び乙号証<書証番号略>臨床精神医学Ⅱ(笠松章著、中外医学社)及び南山堂医学大辞典縮刷版(株式会社南山堂)によれば、次の事実が認められる。
精神外科は大脳に人為的な侵襲を加えて前頭葉脱落症状(前頭葉の外傷などの際に現われる精神・神経症状で、精神症状としては、性格変化・感情鈍麻・積極性欠如が、神経症状としてはいろいろな運動症状がみられる。)を生じさせ、従前の精神障害との均衡を保たせることにより精神症状の改善を図ろうとするものである以上、治療効果とは別に、その破壊部位、程度、術前の被術者の症状等により程度の差はあつても身体的、あるいは精神的変化が生ずることは当然に予想されるところである。而して、精神外科の実施は手術部位のみならず術後の期間が長期になればなるほどより広汎な脳変化を惹起するといわれているが、脳変化の軽微のものでも臨床的には精神症状の悪化する症例もあつて、脳の器質的変化と臨床的効果の有無は関係づけられないとされている。
そして、精神外科により被術者に生ずる身体症状及び精神症状の持続的変化は医学上次のようにいわれている。即ち、身体的には手足の協調運動機能の低下、皮膚の弛緩、体重増加、体温調節機能の低下を、精神的には欲動及び情動の減弱、感情の鈍麻・単純浅薄化、感受性の減弱、自発性及び創意性の減弱、抑制の減弱、児戯化等を生ずるが、術前からの記憶、知能、習慣的行動その他の個々の知的能力は低下しない。
3 そこで、原告の現在の身体的・精神的諸症状の発生原因につき、以下検討する。
(一) 原告の現在の諸症状の多くが前記医学上精神外科による身体的・精神的変化として述べられているところと対比して、その表現の違いはあるにせよ、概ね同一内容であり、前認定のとおり、本件手術が限定的に原告の大脳白質を微量吸引したもので、原告の大脳に明瞭な器質的変化を生ぜしめていないにしても、医学上大脳の器質的変化と技術者の症状の変化とは関係づけられないとされていることに徴すれば、原告の右諸症状の多くが本件手術を原因として発生しているものと一応推認することができる。
(二) ところが、原告には本件手術以前から頭痛、不眠の症状が存したこと、右症状は医学上精神外科により生ずるとされている身体的症状に含まれていないことは前認定のとおりであり、前認定二項1の事実に<証拠>を総合すると、原告は、職を転々として定職につかず、しかも金銭にまつわる犯罪を幾度となく犯していることにみられるように、本件手術以前より根気がなく勤労意欲も乏しく、又他人に依存的な反面、感情不安定で興奮しやすい性格であつたことが認められるところから、原告の右諸症状のいくつかが、術前の症状そのものか、又は本件手術の影響、あるいは術前症状それ自体の悪化進行したものである可能性も高いというべきである。しかも<証拠>によれば、原告は被告病院入院直後から仮退院するまでの約二年四か月間、向精神薬としてヴィタミンあるいはセバーミンのほぼ連続的な投与を受けていたほか、前記名古屋市立大学病院中及び東京大学附属病院入院中も向精神薬を受けていたこと、向精神薬には虚脱、全身倦怠、運動失調等の副作用の生ずることのあることが認められ、これと本件手術以後に生じた原告の諸症状のなかには医学上精神外科によつて発生するとはされていない症状、例えば高血圧などが存することに鑑みるならば、原告の諸症状のいくつかにこれらの向精神薬の投与が影響している可能性も否定できないところである。
しかしながら、原告の現在の諸症状のいくつかの原因として術前の性格並びに向精神薬の影響が考えられるにしても、原告の右症状の全部が右両者のみによつて生じたものと認めるに足る証拠はなく、従つて、右認定事実をもつてしても、原告の現在の諸症状の多くが本件手術によるものとの前記(一)の認定を覆えすことはできないものというべきである。
もつとも、原告の現在の諸症状のなかには、医学上精神外科によつて生ずるとされていない症状の存することは前示のとおりであつて、原告の右症状の全部が本件手術によるものと認めるに足る証拠がないことは、右と同様である。
そうとするならば、原告の現在の諸症状は、術前性格に本件手術と向精神薬の影響が混然一体となつて発生しているものであつて、右諸症状をその原因ごとに区分することはできず、結局のところ、右症状の全体について、術前性格に本件手術と向精神薬の影響が複雑に競合してその原因となつているものと解するのが相当である。
四原告の本件手術以前の疾患
本件手術に先だち、原告に対し、今井医師は精神分裂病の疑い、酒精嗜癖、村田医師は精神分裂病、嗜酒癖との各診断を下していることは前認定のとおりであるので、以下この点につき検討することとする。
1 精神分裂病の概念及びその鑑別診断
甲及び乙号証<書証番号略>、前掲臨床精神医学Ⅱ、精神病の鑑別診断(吉益脩夫、菅又淳共著、金原出版株式会社)、精神医学事典(株式会社弘文堂)によれば、次の事実が認められる。
精神分裂病(精神分裂症ともいう。)は、躁うつ病とならぶ二大内因性精神病の一つであり、その発生瀕度の高さ、病像の特異性、治療の困難さなどから精神医学の臨床において重要な位置を占める疾患であるが、その根本病理が今なお明らかにされていないうえ、あらゆる精神分裂病に共通の状態像、症状群、経過もないことから一つの疾患単位であるか、あるいは単なる病状群であるかも定説がなく、その定義づけは極めて困難とされている。しかも、精神病のなかには躁うつ病とも精神分裂病とも分類することが著しく困難、あるいは不能な病群(混合精神病、非定型精神病等と呼ばれる。)が存し、これらと精神分裂病を区分する境界に関して精神医学者により一定しておらず、クルト・シュナイダー(K.Schneider)が述べている様に、診断は「これが精神分裂病であるか。」を問うているのではなく、「これは私が精神分裂病と呼びならわしているものに一致するか。」を問うているに過ぎないともいわれており、精神医学者の個人差により精神分裂病の範囲は一定していない。
そして、その精神症状、病型はあまりにも種々雑多で精神分裂症状学も混屯としているといわれているが、一応臨床的には次の三つの類型に分類される。即ち、基本的感情、意思の鈍麻を主徴として幻覚や妄想、緊張症状群(錯乱、興奮、昏迷など)の余り著明でない破瓜型、緊張症状群の著明な緊張型、人格の障害は比較的に軽度であるが、幻覚、妄想が著明な妄想型がある。
しかし、右三つの臨床例は純粋な形で単独に出現するものもあるが、同一の患者がその経過中に一つの型から他の型へ移行したり、各類型の特徴の一部ずつを併有している症例もあつて、統一的に記載することは困難とされているが、各類型を通じての分裂症状ともいうべきもの、即ち、種々の領域にわたる精神症状のうちしばしばみられ、かつ、他の精神疾患との鑑別点となる症状は次のとおりである(クルト・シュナイダーは、これを分裂病の第一級症状とよび、思考障害、させられ体験〔自己の思考・感情・意思・身体感覚などの心的機能にともなう自我の能動意識が消失して、他人の所為と感じられる症状。〕、幻聴、幻覚を掲げ、ブロイラー〔Euger Bleuler〕は、連合弛緩〔個々の精神機能に障害はなくとも、その統合する機能に障害があること。〕及び自閉〔現実への興味・関心を失つて自己の主観的世界に閉じこもること。〕を分裂病の二大基本症状とした。)。
(一) 対人接触に際して心と心が交いあうという人間的接触(疎通性)を欠く。
(二) 主観的症状
世界没落体験・迫害妄想・心気妄想などの妄想や、対話性幻聴などの幻覚、させられ現象など。
(三) 客観的症状
自閉症、両価性(同一人に愛情と憎悪を同時に抱くこと。)などと呼ばれる特有の感情・憎悪の障害、衝動的興奮や昏迷などの緊張病性症状、言語新作(本人だけしか意味の判らない新語を造ること。)や支離滅裂思考(思考の連行に連関性がなく、各節がバラバラとなること。)などの思考障害など。
ところで、精神分裂病の初期症状は、精神症の患者に多くみられる心気症状群(頭重感・頭痛・睡眠障害・肩こりなどの身体的不調を訴え、何か重大な身体疾患ではないかと過度に心配する症状群)と類似の症状がみられるところから、その判別が問題となるが、その鑑別点は、次のようにいわれている。
(一) 精神分裂病は人間的疎通性を欠くが、神経症では表情や身振りも滑らかで常人と会話していると全く変りない。
(二) 妄想・幻覚・させられ現象などの精神分裂病の第一級症状は神経症には生じない。
(三) 心気症状に対する態度として、精神分裂病は一応身体の不調を訴えるものの、熱意がなく他人のことを言つているような態度でそれがどうでもよいとの感じを与えるが、神経症はこの訴えが強く執拗でありそれに対する苦しみ、不安は過度に強い。
(四) 心気症の内容として、背骨が冷つとする、体の前と後が交替してしまつた等、余り見たことも体験したこともない異様、奇怪なまたは馬鹿げた症状を訴える場合には精神分裂病の可能性がある。
(五) 精神分裂病の多くは病識を欠くのに反して、ほとんどの神経症は病識が残存し、多くが過剰である。
右の諸点が精神分裂病と神経症の鑑別基準となり、患者と面接して精神分裂病の第一級症状が発見される場合には、鑑別はそう困難でないが、その気配がありそうだが不確実というような場合には、その鑑別は極めて困難とされ、現実の臨床でもその判然とした区別が困難な症例が近時増加する傾向にあり、精神医学者の中にはその区別困難な症例を境界分裂病とよぶ者もいる。
そして、その鑑別診断は、家族歴、既応歴、生活歴等の調査結果、問診所見、現在症(精神的所見と身体的所見)及びその発症の経過等の資料を総合してなされるが、これらの資料を得る方法としては、患者との問診(質問という患者への働きかけに対する患者の反応状況を観察し、患者の応答の内容から精神内容を把えるもの。)が重要視される。その他に内科的、臨床神経学的検査(脳波、髄液検査等)も参考資料とされる。
2 原告の術前の行動及び症状
前記二項1の認定事実に、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(一) 幼い頃実母を亡くして父方の祖母に養育され、のちに父親が再婚し、継母をもつにいたつたが馴めず、同女に対し依存的な反面、際だつた攻撃を示すこともあり、また他の兄弟間との信頼関係もなく、家族の中で孤立化していた。
(二) 高校申退後、飲酒のうえ左記のとおり犯罪を重ねている。
(1) 昭和二五年頃、金に困り強盗(未遂)をした。
(2) 昭和三三年頃、単車を盗んだ。
(3) 昭和三六年頃、自転車を盗んだ。
(4) 昭和四〇年三月頃、材木店からカメラを盗んだ。
(5) 昭和四一年三月頃、右材木店に御礼参りに行き、脅迫した。
(6) 同年一二月頃、再び右材木店へ御礼参りに行き、脅迫した。
(7) 昭和四二年一〇月頃、実兄の会社へ金を借用しに行き、実兄を恐喝(未遂)した。
(三) 右各犯罪によつて懲役刑を科せられ、通算して約八年間の刑務所在監中、雑居房を嫌がり、独居房を希望していた。
(四) 昭和四〇年頃名古屋刑務所出所後、近隣の者が悪口を言つたとして同人の後を追い、同人の家屋のガラス戸を足蹴りして自らも右足を負傷し、警察官の監護のもとに外科病院にて治療を受けたのち、更に精神病院である桶狭間病院に収容されたが、二日間の収容後、異常がないとのことで退院させられた。
(五) 昭和四三年九月二一日府中刑務所を出所した際、原告の身を案じた父親が右刑務所に迎えに来ていたことに感謝しつつも、その反面親がいるから自由になれないとの反感を抱いた。
(六) 府中刑務所出所後、頭痛、不眠が続き精神科の病気に罹患しているかもしれないとの危惧を覚え、昭和四三年九月二五日頃安城警察署知立警部派出所へ身の振り方を相談しに赴いたものの、右派出所内で突如興奮して机上のガラス板を叩いて暴れ、精神病院である刈谷病院に収容されたが、二、三日して異常がないとのことで退院させられた。
(七) 昭和四三年一〇月二日夜同じく安城警察署へ相談しに赴き、署内で突如興奮してガラス戸を割つて暴れ、被告病院に収容された。
(八) 被告病院入院後、刑務所在監中の自慢話をしたり、他の患者の悪口など患者が興奮するようなことを喋り散らし、また、入院規則を守らず勝手気ままな行動をとつていたが、夜になるとたびたび詰所に来て、「病棟にいると死にそうになる。」「胸が苦しく脳震とうを起こしそうになる。」「幽霊になりそうだから独房に入れてくれ。」「保護室に入ると気持が落ちつく。」などと訴えて床に倒れて動こうとせず、保護室への収容を強く希望していた。
3 <証拠>によれば、原告に対する今井、村田両医師の前記問診では、原告は両医師と長い会話をこなして疎通性を有し、特に今井医師の問診においては、原告にクルト・シュナイダー、あるいはブロイラーのいう分裂病の基本症状はみいだせなかつたものの、原告の現在の状態像として、今井医師は刺激性興奮・憂うつ気分・猜疑的被害性邪推・曲解・興奮・不安・気分変動・代償性顕示・惰性欠如・意志欠如・自信欠乏・嗜癖と、村田医師は妄想・滅裂傾向?・興奮・拒絶・不気嫌症・軽愚・自閉・爆発・気分変動・顕示・惰性欠如・意志欠如・自信欠如・嗜癖と、それぞれ把握していたこと、証人石川清の証言によれば、昭和四八年六月頃原告が東京大学附属病院に検査のため入院した際、精神科医である石川清医師は原告にアルコールに対する嗜癖傾向を認めたこと及びその頃から原告には散発的に錯覚や幻覚症状があり、他人の言葉に被害的になつて急に怒り出すといつた被害念慮があつたこと、が夫々認められ、更に原告には右認定2の術前の問題行動及び症状があり、このなかには病識の存在、心気症を訴える態度の執拗さなど神経症とも考えられる症状も存する一方、衝動的興奮、暴行、感情の両価性及び心気症状の内容に多少異様なものが存するなど精神分裂病を窺わせる症状も存すること、並びに前認定のとおり精神分裂病の定義づけ自体困難とされ、その限界もあいまいで症例によつては精神科医により診断に差が生じるものであり、また、その初期症状は神経症の心気症状と類似していることから鑑別困難な症例も存し、特に近時は右症例が増加する傾向にあることなどの事情を総合考慮すると、疑問の余地は存するものの、原告の術前の症状は医学的に見て精神分裂病(或いはその疑い)・酒精嗜癖と診断できるものと認めるのが相当である。
五被告らの責任
1 医師の過失の判断基準
現在、著しい科学技術発達の影響を受けて、たえず医学理論も向上し、それに伴い新規な治療法が開発、研究されている一方で、従来確立された治療法のうちにも予期できなかつた副作用などの障害が発生することが明らかとなり、その施行が禁止され、あるいはある種の制約の下でのみ施行が許容されるに至つた治療法も存するのであるから、治療法の採否の決定、その施行に関与する医師としては、常に右決定、施行時における医療水準、特に当該治療法に対する評価に従つてその決定、施行にあたるべき注意義務を負つているものというべきである。
2 精神外科の歴史
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 脳外科手術により精神病を治療しようと試みたのはスイスの精神科医ブルックハルトを始めとする。ブルックハルトは一九世紀末イヌの大脳皮質切除実験からヒントを得て、激しい興奮を示す慢牲精神病患者を平穏にする目的でその頭頂葉、前頭葉、側頭葉に切截を加えて皮質を部分的に除去する手術を実施し、六例中四例に効果を認めたが、周囲の倫理的反対に遭い以後右手術を中止せざるを得なかつた。一九三五年に至つてポルトガルのリスボン大学神経学教授モニッツは、左記の仮説に基づき前頭葉切截術を考案し、実施して、以後の精神外科発展の基礎を築いた。即ち、モニッツはパブロフの条件反射説に注目し、「正常な精神生活はシナプスの良好な機能に依存し、精神障害はシナプス混乱の結果として現われる。患者の苦悩や病的思考は前頭葉内の神経細胞に異常なシナプス的結合線維群を生じるために起こるものであり、そのために病的思考が繰り返し悪循環して固着するのであるから、この回路、即ち、神経線維の密集している前頭葉の半卵円中心において白質を破壊することにより病的症状を除去できる。」と考えたといわれる。そして、米国のジョージ・ワシントン大学神経学教授フリーマンと同大学神経外科助教授ワッツがモニッツの術式を追試し、その改良法として標準式ロボトミー(Standard Lobotomyこの術式は、眼窩側縁から三センチメートル後方、頬骨弓から六センチメートル上方の位置に小穿骨孔をもうけ、白質切截器を正中面より0.5ないし1センチメートル手前まで刺し込み、刀栖を上下に振子状に動かし、前頭葉白質の上半及び下半を切離するものである。)を考案し、以後右術式が簡便であることもあつて、精神医学上の治療手段として定着し、各国に拡がつた。
しかし、スウェーデンのライランダーは一九四七年一二月ニューヨークで開催された国際精神神経学会において、精神外科を実施した被術者の術前と術後の人格像の詳細な比較を行ない、精神外科により患者の心から大切なものが奪い去られていることを指摘し、それが前頭葉の広汎な切截によるものであることを警告したことが契機となり、以後標準式ロボトミーは殆んど行なわれなくなつたが、他方術後の好ましくない人格変化を避けるということで、選択的に限定した部位を少量切截あるいは切除する改良法が研究、発表され、翌一九四八年八月に開催された第一回国際精神外科会議では、二七か国から二〇〇名以上の精神医学者、神経学者等が出席し、演題五八、手術症例八〇〇〇例が報告され、適応症の選択、術式の批判、精神外科の将来が論じられ、新しい改良術式がほぼ出揃つたといわれている。
(二) わが国では、一九四二年(昭和一七年)第四一回日本精神神経学会において従来から前頭葉切除術を実施していた新潟医大外科中田瑞穂らにより標準式ロボトミーの追試報告がなされて以来、特に第二次世界大戦以後流行し、精神病院では一九四七年(昭和二二年)松沢病院において実施されたのをはじめ、相前後して全国の大きな精神病院で主として精神分裂病を対象として手術が行なわれるようになり、一九四九年(昭和二四年)には国内での手術例数は三〇〇〇例を突破するほどにまでなり、手術例数の増加に伴ない、日本精神神経学会総会、日本外科学会総会、日本脳外科研究会総会(現在の日本脳神経外科学会総会)などの各学会でも精神外科に関する演題、講演が数多くなされ、精神外科領域における特殊治療法として脚光を浴びるに至つた。
尤も、右各学会総会においても、手術結果の成功例の報告が多く、精神外科の奏効メカニズムに言及したものは少なく、また奏効メカニズムについて述べた論文でもモニッツの仮説に否定的見解を唱える者も多く、例えば、一九四七年(昭和二二年)以来精神外科に精力的に取組んでいた松沢病院医師広瀬貞雄は、モニッツの仮説は無意味であるとし、精神外科は精神病のプロセスそのものに奏効するのではなく、プロセスに対する反応形式を変えることにより効果が得られるとして、治療効果としての人格変化は切截量ではなく切截部位に基礎を置き眼窩脳白質の切截により招来されると主張していたが、広瀬の右見解も必ずしも術者の定説となつていた訳ではなく、一九五〇年(昭和二五年)発行の日本医事新報誌上において精神外科の奏効メカニズムなどをめぐり広瀬と北海道大学中川秀三助教授の間で論争がなされ各界の注目をひいたが、その中で中川は広瀬の主張は簡明直截すぎると批判し、精神外科の治療効果及び術後の人格変化の程度は白質切截によつて遊離される前頭葉皮質の部位とは関係なく、切断される視床内側核線維の量に比例するとして切截量の少ない術式から順次切截量の多い術式に進む継続的反復手術方式に提唱した。
このように精神外科はその奏効メカニズムや術式につき精神医学者間でも意見の対立がみられたものの、その治療効果は治癒、軽快、不変が各三分の一ずつであるとの数多くの臨床報告の下で、有効な治療方法として医学界では認識されており、その実施に批判的な論述としては、京都大学精神医学教室越賀一雄が精神神経学雑誌第五五巻昭和二八・九年「ロボトミーの経験とその批判」のなかで、「ロボトミーは精神分裂病の緊張型・妄想型・破瓜型に有効ではあるが、神経症に対するロボトミーの適用はたとえ効果があるとしても賛成できず、ロボトミーを安易に用いて他の精神病の治療法による努力を惜しみ、濫りにメスを振うことは極めて危険なることであり、人間の運命に対する浅薄なる見解であるとの誹をまぬがれることは出来ない。」と述べている状況であつた。
そして、精神外科は簡易な治療法であることから、次第に脳外科医のみならず精神科医自らが手術部位の正確な検討もしないまま経験に頼つて執刀し、かつ、より大きな治療効果を得るという目的の下で広汎に白質を破壊する傾向が生じたことなど、きわめて濫用的に用いられるようになり、それに従い被術者の大脳血管破壊による死亡やてんかん発作等の副作用も増加し、また奏効しない症例も多いことが認識され始め、精神医学界内部でも精神外科はその効果が不確実であるのに何ら器質的変化のない大脳に外科的侵襲を加える危険な手術であることに批判や反省が起こり、加えて、一九五二年(昭和二七)年に登場した向精神薬が精神病の治療に著効を示し、従来の持続睡眠療法や電気痙攣療法を駆逐して精神病の治療に変革を招来したこともあつて、精神外科の実施例は著しく減少した。
ところで、昭和四五年頃から精神病学の専門家の全国組織である日本精神神経学会では、当時刑法学界を中心として社会問題化していた刑法改正、特に保安処分制度新設に強い関心を示し、学会内部に刑法改正問題研究会が創設され、保安処分制度に対する検討がなされてきたが、昭和四六年六月同学会第六八回総会において保安処分制度新設に反対する決議が可決されたことに伴ない、精神外科が保安処分制度と密接な関連を有するものとして、この際前記のとおり医療上の問題点のあつた精神外科を精神医学の治療手段から放逐しようとする運動が強まり、第七一回日本精神神経学会総会のシンポジュウムでも精神外科がとりあげられ、そのなかで精神外科の前提となつている仮説があくまで憶説的であつてその後の検証が不十分であるとともに、精神外科が人体実験的性格を強く帯びていること等精神外科の問題点が強調され、その結果昭和五〇年五月一三日第七二回日本精神神経学会総会において、精神外科を否定する決議が可決された。右決議は、「精神外科とは、人脳に不可逆的な侵襲を加えることを通じて人間の精神機能を変化させることをめざす行為である。かかる行為は、医療としてなさるべきでない。」というものである。尤も、その頃以来右学会は保安処分制度等に関する意見の相異から総会を正常な形で開催できない状況にある。そして現在の精神学界では、精神外科はほとんど実施されておらず、わずかに日本医科大学精神科医師広瀬貞雄が、従前の精神外科による後遺症は術式の改良と適応症例の選択により克服できるものであるとして、Orbito-ventromedial undercutting(眼窩及び下内側面に限局した小部分の皮質下白質切截術)を提唱している程度である。
3 本件手術当時の医療水準
(一) <証拠>によれば、次の事実が認められる。
本件手術当時前後に発行され、当裁判所に提出されている医学的文献(教科書的なものは除く。)の精神外科に関する内容は、概ね次のとおりである。
(1) 精神外科は戦後の一時期精神外科領域における画期的治療法として登場したが、症例と術式の無選択のため幾多の弊害が現われ、また精神安定剤の出現もあつて最近では一般に顧みられなくなつたとしながらも、Orbito-ventro-medial undercuttingは従来の術式の中で最も副作用が少なく、好ましくない人格変化も来たさず効果を得ることができ、手術の効果如何は適応症の選択と手術時期であるとし、人格の核心が保たれている非定型分裂病・頑固な身体症状を持つた重症心気症・不安神経症等に著効があるとし、精神外科はConservative(控え目な)な治療が奏効しない場合に適応が決定されるものである、としている。(昭和三六年発行「質疑応答集Ⅱ13精神神経科篇」)
(2) 精神外科の是非につき、日本医大教授広瀬貞雄が積極的立場を、信州大学教授西丸四方が消極的立場をそれぞれ述べている。即ち、広瀬は、精神外科につき現在では適応範囲はほぼ確立し、術式も好ましくない副作用を未然に防止出来るまで進歩発展したとし、精神分裂病のうち情意の障害の顕著な定型分裂病群には効果がないが、長い経過にも拘らず人格の核心の保たれている非定型分裂病、あるいは非定型内因性精神病、循環精神病には顕著な効果があるとし、薬物療法の登場は精神外科等の適用範囲を著しく縮少させたものの、薬物療法の効果のないもの、特異体質のため投薬できぬ症例もあることから、今後は精神外科と薬物療法を如何に上手に使いこなすかが課題である、としている。他方、西丸は、精神外科について明確な否定的立場に立たず、精神障害の治療の困難さを強調し、精神外科を実施するか否かは、それによる人格破壊と精神障害による人格変化の比較衡量の問題である、としている。(昭和三七年発行「医療新報」)
(3) 情動の神経機構について従来の諸実験、諸説を述べ、さらにその情動機構に関する考察に基づき、情動障害の一型である狂暴症に対して試みて来た鎮静的脳手術の概略を報告し、また視床下部に対する定位脳手術についてもふれ、術後の変化について述べている。(昭和三八年発行「神経研究の進歩」第七巻)
(4) 精神外科について、その論争すら次第にかえりみられなくなり、精神分裂病の治療としてほとんど用いられなくなつたとし、松山精神病院における標準式ロボトミーの変法を実施した分裂病患者と右手術を加えなかつた分裂病患者の長期にわたる病状の経過、転帰を比較検討し、精神外科によつて生ずる一過性並びに持続的な身体症状及び精神症状の変化について述べ、考察において、精神外科は緊急病性興奮、その他の緊張症状に対して有効であるとしながらも、術後に感情の鈍麻・能動性の減弱等の後遺症が発生し、その原因は精神外科により大脳皮質の統制的な影響が失なわれ、低次状の機能が前景に現われてきたためで、精神外科は分裂病の病態生理をその進行する方向に助長する役割を果しているとし、分裂病のほかうつ病や神経病にしてもその病原の物質的基礎は不明であり、病原の不明のものに器質的な不可逆的侵襲を加える精神外科に治療的な意義はない、と明言している。(昭和四一年発行「四国医学雑誌」第二二巻第一ないし第六号)
(5) 精神科医の意見を集約し、これをもとに日本精神神経学会で決定された「精神科の治療指針」は、インシュリン・ショック療法、痙攣療法等の精神障害一般の治療方法、回数、適応等の凡その基準を示すものであるが、本治療指針は、薬物療法に中心を置き、各治療法の細かい手技、手法は経験が積み重ねられ、詳しい成書も多くなつてきたとして、その記載は簡略化したと述べているが、右治療指針によれば、精神外科療法は、次のように記述されている。即ち、「かつて盛んに行なわれたロボトミーは時たま術後に好ましくない人格変化や痙攣発作が現われて問題となり、近年の向精神薬の発展、普及と平行して、諸種の改良術式が現われ、副作用や欠陥を残さずして効果をもたらすべく種々の工夫がなされ、適応症の選択も十分適確に行なわれるようになつてきているので、向精神薬の出現により手術数は著しく減少しているとはいえ、決して精神外科を否定する結果とはならず、症例によつては両者を上手に組み合わせて使うことに大きな期待がかけられている」としたうえで、適応疾患と術式を紹介しているが、適応疾患として精神分裂病のうち他の特殊療法を十分に行つてもその効果がなく、幻覚、妄想、異常体験が残存し、それに対し不安、困惑を示し感情的緊張が認められるものを揚げ、パラフレニー型のもの、長年にわたる神経症様状態・躁うつ病的色彩を有するもの(混合精神病)、緊張病症状を反復し人格の核心の保たれているものなど非定型分裂病で長期頑固な症状を示すものは効果が期待される、としている。(昭和四二年発行「精神神経学雑誌」第六九巻第八号)
(6) 情動障害の一型である狂暴症の患者四七症例に、同心双極針電極を定位的に視床下部に挿入して電気刺激により破壊したところ、誤嚥による死亡、あるいは再手術を行つた三例を除いた残り四四例を一年から七年間追跡調査したところ、狂暴な行動が全く消失したもの一二例、温和であるが、時としていらだつたり怒つたりすることがあるもの三〇例、無効二例で、温和効果は九五パーセントにも達したとして、考按において視床下部と情動につき自説を述べている。(昭和四五年発行「神経研究の進歩」第一四巻)
(7) 精神医学における身体療法の歴史について述べるなかで、精神障害者の治療法を大きく変えた向精神薬もその限界が明確になり、今後は向精神薬と従来の身体療法を如何に上手に組み合わせて使いこなすかが精神科医の重要なテーマであると強調し、精神外科療法については、従来その後遺症といわれた術後の好ましくない人格変化も、種々の術式の改良と適応症の選択により克服されたとし、精神外科療法も捨てさることのできない治療法として再認識されるようになつてきたと述べ、自らのOrbito-ventromedial undercuttingの術式を紹介し、右術式によれば術後の好ましくない身体症状、精神症状はほとんど現われず、一九五七年七月以来右術式を実施した一一四例では生存者一〇一例中六五例(64.4パーセント)が退院し、三例を除く六二例(61.4パーセント)が就職、あるいは家事に従事し、手術による死亡例は一例もなく、良好な結果を得たとし、適応症については、精神外科は精神障害者の異常な精神状態に対する整形外科というべきものであるから、過度に敏感な状態のため、身体的・精神的刺激に対して激しい精神反応を示すような一群の患者に対し、薬物療法をはじめショック療法、精神療法などの治療法が奏効しなかつたものに適用すべきであるとし、精神分裂病については、長い経過に拘らず感情や意志の面の障害が少なく人格の核心が保たれている非定型分裂病に著効がある、と述べている。(昭和四五年発行「日医大誌」第三七巻第一号)
(二) 前掲甲、乙号証、臨床精神医学Ⅱによれば、次の事実が認められる。
本件手術当時までに発行された精神医学の標準的な教科書には、精神外科に関して次のように記述されている。
(1) 精神外科につき現在でもその是非が論じられ、未だ論争が絶えないとしながらも、精神外科は過度に敏感な状態のために身体的・精神的刺激に対して激しい精神反応を示す一群の患者に対して、従来の治療が奏効しない場合に適用すべきものであるとし、適応症として精神分裂病のうち、情意鈍麻が早くから病像の主景をなしているような定型的分裂病には著効がないが、長年の経過にもかかわらず感情や意志の面の障害が少なく人格の核心の保たれている非定型分裂病(長年に亘る神経症様の状態のため強い不安を示すもの、パラフレニー型のもの、躁うつ病的色彩を有する混合精神病、多彩な病像変化を反覆しながらも人格の崩壊を示さぬもの等)は現在なお手術の対象となる、としている。(昭和四〇年発行、広瀬貞雄著「日本精神医学全書」第五巻三七七頁以下)
(2) 精神外科は今日では次第に行なわれなくなりつつあるとしながらも、適応性の選択を厳格にしたうえで、種々の他の治療法を反覆しても効果が得られない場合、あるいは身体疾患の併発のためなどで他の治療法の施行が不可能な場合に限り、施行されるべきであり、施行後は人格の再構成をたすけるために精神療法・作業療法等の後療法が必要であるとし、適応症として精神分裂病のうち緊張型・妄想型に有効で破瓜型に効果が少ないとし、更に病前性格も考慮に入れる必要があり、病前あるいは術前の性格が過敏であつたり、多弁・陽気・活動的な循環気質に近い要素を有している場合には手術による改善が多いに期待できるが、早期から感情鈍麻が病像の主景をなしていたり、陰気・無口・孤独などの性格傾向を有している場合には社会復帰の希望は少くない、としている。(昭和四一年発行、笠松章著臨床精神医学Ⅱ一一五二頁以下)
(3) 標準式ロボトミーその他の術式を簡単に紹介したうえで、精神外科は、人格の変化など種々の後遺症や痙攣発作を貽すことが少なくないことから、爆発性精神病質、経過の長い妄想型分裂病等に対して、最後の手段として試みられる程度である、としている。(昭和四二年発行村木仁、満田久敏監修、村上仁ほか二九名共著「精神医学」四八一頁)
(4) 精神外科に対する一般の関心は薄れつつあるが、適応症例と適応術式とを誤らなければ、今後とも適用されてよい治療法と考えられるとし、その性格が感受性が強すぎるために精神症状に対して過度の精神反応を示すような患者で、しかも他の身体療法がまつたく無効な場合に限り、最終的に用いられるべきものであり、手術後は新しく生まれた人格(幼児のような未熟な人格となる。)を再編成するため生活指導・しつけ・精神療法等の後療法が必要であるとし、適応症として精神分裂病のうち他の療法が奏効せず、なお幻覚・妄想などの異常体験が残存し、それに対して衝動性の興奮、不安など感情的緊張の激しいものをあげている。(昭和四一年発行、三浦岱栄、塩崎正勝共著「現代精神医学」三一二頁以下)
(三) 右(一)、(二)の認定事実を総合すると、次のように考察できる。
昭和四三、四四年当時の精神医学界では、一九五二年(昭和二七年)に登場して精神病の治療に画期的進歩をもたらし、電気痙攣療法、持続睡眠療法その他の身体療法を駆逐した向精神薬も、その奏効しない症例や副作用の存在のため、必ずしも万能の治療法でないことが次第に認識され始め、向精神薬と右各治療法を如何に上手に組み合わせて精神病の治療に取り組むかが精神科医の重要な課題となつていた。而して、精神外科については、緊張病性興奮、その他の緊張病症状に有効であることを認めつつも、精神外科が前頭葉に不可逆的な侵襲を加えてその脱落症状を起こし、しかも精神分裂病、躁うつ病、神経症など病原の物質的基礎の不明な疾患に対して、単なる仮説に基づき切截部位、切截量とも経験に頼つて施行される危険な手術であるところから、手術の必要性とその不利益とを比較衡量する余地もなく、精神病の治療としては一律に禁止さるべきであるとの見解もあつた。これに対し、従来精神外科の後遺症といわれた症状のなかには、精神分裂病の病勢の進行そのものまで含まれていたと指摘し、適応性の厳格な選択と手術部位を限定して実施すれば、後遺症はほとんど発生せず、顕著な効果が得られたとする症例報告も精力的になされていた。
右のよう精神外科の実施につき賛否両論分れていた状況の中で、精神科医の総意をまとめ、凡その基準を示したものが前記精神科の治療指針中の精神外科についての記載であるということができる。尤も、右治療指針が薬物療法に中心を置き、治療の細かい手技、方法は既に広く経験が重ねられ、詳しい成書も多くなつてきたとして治療の内容の記載が簡略化されているうえ、精神外科についての記載は、適応症の選択が的確に行われるようになつてきたとして、その治療法としての存在意義を強調するあまり、適応疾患及び術式の種類が記述されているに止まるが、前記の標準的な教科書は殆んど右記載に従いつつも、精神外科実施にあたつての留意点を整理して、その最終手術性、適応症の選択を厳格にすること、後療法の重要性を強調しているところである。
してみると、右治療指針中の記載並びに前記の標準的な教科書中の記載をもつて、本件手術当時の精神外科に関する医療水準と考えるのが相当である。
従つて、本件手術当時の医療水準においては、精神外科は、精神病の治療法としては否定されておらず、適応症の選択を厳格に行なうこと及び他の療法を十分尽したうえで実施すべきであるとの制約の下で、許容され、適応症として、精神分裂病のうち幻覚・妄想・異常体験が残存し、それに対し不安・困惑を示し感情的緊張が認められるもの(特に、パラフレニー型のもの、長年にわたる精神症様状態、躁うつ病的色彩を有するもの〔混合精神病〕、緊張病症状を反覆しながらも人格の核心の保たれているもの、などの非定型分裂病で長期頑固な症状を示すもの。)が認められていたと解するのが相当である。
4 被告岩田の過失の存否
(一) 精神外科の医療行為法
前記のとおり、本件手術当時の医療水準によれば、精神外科は一定の制約の下に医療行為として許容されていたのであるから、精神外科が医療行為でないことを前提とする原告の主張は理由がない。
(二) 本件手術の医療目的
一般に医師が自らに治療を委ねられた患者に対しその診断名に適応とされている治療法を施行した場合には、特段の反証のない限り、その医師は医療目的でその治療法を施行したものと推認すべきものと解されるところ、前認定のとおり、被告岩田は脳神経外科医であり、被告病院村田医師から原告が精神外科の適応症とされている精神分裂病であるとの説明を受け、本件手術を実施したものであるから、被告岩田には医療目的があつたと推認するのが相当であり、右推定を覆えすに足る事情は全く存しない。
従つて、本件手術が原告を病院管理上扱い易くするため等非医療目的で施行されたとする原告の主張は失当である。
(三) 本件手術の相当性
(1) 一般に、患者に対し各種の治療法が考えられる場合、医師が如何なる治療法を選択するかは、患者の症状、その進行程度、医療措置の副作用等を総合した医師の裁量に委ねられていると解すべきであるが、精神外科は、その治療効果とは別に大脳に不可逆的な侵襲を加え、好ましくない身体・精神症状を惹起する危険な手術であるところから、「他の療法を十分試みてもその効果がない場合に最後の手段として用いる」との制約の下でその実施が許容されていたこと前認定のとおりである。従つて、実施された精神外科につき、その最終手術性が争いの対象となつた場合、患者側は、他の療法が十分試みられることもなく精神外科が実施されたことを主張・立証すれば足り、これに対し医師の側が、当該患者に対しては、その症状、進行程度から他の療法を施行できなかつたこと、あるいは、他の療法を尽したとしても治療効果がなく精神外科が唯一の治療法であつたこと等、精神外科実施についての合理的事情を主張・立証しない限り、その実施は医師の側の裁量の限界を越えた違法な医療行為となるものと解すべきである。
ところで、被告病院が本件手術に先だつ治療としては向精神薬としてヴィタミンを投与しただけで、他の向精神薬の投与や精神療法、作業療法、電気痙攣療法などの治療法を行うことなく精神外科の実施を決定したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件手術に先だち原告に対し問診を実施した今井、村田両医師は、今後の治療予定としていずれも特殊薬物療法、電気痙攣療法、精神療法、その他の治療法を考えていたが、昭和四三年一〇月一九日、同年一一月一八日に実施した心電図検査では冠不全を伴う心筋障害が見られたため原告に対する電気痙攣療法の実施については慎重を要するものと判断されていたこと、前掲甲第九号証によれば、向精神薬の種類は非常に多く、精神分裂病に対してもフェノチアジン系化合物、レセルピン、プチロフェノン系化合物その他の特殊薬物療法があつて症状により適宜選択して投与することが必要とされていることが、夫々認められる。
そこで、本件について精神外科を実施するにつき合理的事情が存したか否か検討するに、前掲臨床精神医学Ⅱによれば、精神分裂病は、かつて治療困難な病とされていたが、近年は持続睡眠療法、インシュリン療法のほか薬物療法など多種の身体療法が考案され、その治療効果も次第に認められてきており、また精神療法の効果も再認識され、不治の病ではないとされていることが認められるうえ、前認定のとおり、原告には問題行動はあるものの、その殆んどが他人の身体に重大な危害を与えるといつた行為でもなく、かつ、その精神症状も精神分裂病と神経症の混合的疾患とも考えうる余地のある症状で、電気痙攣療法はともかく、ヴィタミン以外の向精神薬の投与や作業療法、精神療法の施行により原告の症状の軽快する可能性も否定できない状況にあつたこと、等の事実が明らかであつて、そうとすれば、右合理的事情が存したものとは到底認められないというべきで、他にこれを認めるに足る証拠はない。
従つて、右事情の下で本件手術を選択したことは治療手段の採用につき医師として裁量の範囲を逸脱しているものといわざるを得ない。
(2) ところで、医療は高度に専門分化し、医師に対しその専門以外の領域について診断、治療を求めることは困難とされ、各専門医間にわたつて医療がなされる場合には、医師はその専門外の領域については他の専門医の判断を信頼して当該医療に従事すれば足り、それにより複雑、困難な医療の速やかな遂行も可能となるのである。しかしながら、一般に当該医療行為が高度の危険性や術後の副作用を伴う可能性が存する場合には、他の専門医からの依頼を受けた当該医師は、自らの医療行為を為すに際して、緊急を要する等の特別の事情の存する場合を除いて、右専門医の診療過程に慎重なる考慮を廻らし、当該医療行為を為すべきか否かを検討すべき注意義務を負担すると解すべきである。
而して、精神外科は精神科の特殊治療法であつて、その適応症判断は精神科固有の領域であるにせよ、その侵襲部位並びに後遺症の重大性に鑑みるならば、外科医たる執刀医は、右注意義務を負担するもの、即ち、精神科医の診断並びに治療方針を無批判に取り入れることなく、精神外科実施との判断に至るまでに十分なる判断過程を経由しているか否か、精神外科を実施すべきか否か等を検討すべきである。これを本件についてみるに、被告岩田は本件手術の数日前村田医師より原告が精神分裂病で本件手術の適応にあるとの説明を受けたことは前認定のとおりであるが、被告岩田本人尋問の結果に照らすと、被告岩田は本件手術当時精神外科の最終手術性について十分知悉していたことが認められるのであるから、原告のカルテ、看護記録、精神衛生鑑定書を調査すれば、前示のとおり、精神療法、作業療法等のより基本的な治療法が何ら試みられることなく本件手術が選択されていることを容易に認識しえたはずであるところ、被告岩田が被告病院精神科医の本件手術選択につき疑問を持ち同医師らと協議をしたことなどを窺わせる資料は全く存せず、従つて、被告岩田は本件手術を漫然と引受け実施したものといわざるを得ず、前記注意義務を怠り、精神外科の前記制約に反した過失があるものというべきである。
(四) 患者の承諾
医療は生体に対する医的侵襲であるから、これが適法となるには、患者の生命又は健康に対する害悪発生の緊急の虞れの存するとき等特別の場合を除いて、患者の承諾が必要というべきで、患者の自己決定権に由来する右の理は、精神衛生法上の強制入院たる措置入院させられた精神障害者に対しても、右措置入院が当然には治療受忍義務を強いるものではないことから、適用され、更に、同人が医師の説明を理解し、治療を受けるか否かの判断能力を有する場合には、患者本人の同意が必要であつて、近親者の同意では足りないと解すべきであり、特に、精神外科の如き治療法は患者に与える影響の重大さから、より一層患者本人の同意が尊重されねばならないというべきである。
ところで、前認定の原告の症状及び問題行動並びにカルテに記載されている原告の今井、村田両医師との各問診状況に照らせば、原告が意思能力、判断能力を有していたことは明らかであるうえ、<証拠>によれば、原告は被告病院入院直後から本件手続に至るまでの間、一貫して同病院担当医らや面会に来た父親に対し退院したい旨の希望を強く述べていたこと、原告は第一回目の手術後、第二回目の手術前に、看護婦長に土下座して「切つたら幽霊になつて出てやる。」と同婦長を脅迫していること、同じ頃、原告は被告岩田と同病院廊下で会つた際、同被告に対し「もう切らないで下さい。」と哀願したことが認められ、右認定事実によれば、原告が本件手術に承諾していなかつたものと認定すべきであり、被告岩田本人の供述申には、原告が本件手術を承諾していた旨の供述部分が存するが、右供述部分は直ちには採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。
面して、一般に、他の専門医から手術の依頼を受けた手術執刀医においても、手術の実施にあたり、患者の承諾を得られているか否かを確認すべきであつて、既にその承諾が得られているとき、緊急の事態のため承諾を得る時間的余裕がない等の場合を除き、自ら患者に対する説明に基づく承諾を得ねばならないと解すべきところ、被告岩田本人尋問の結果によれば、被告岩田は、本件手術にあたり、原告の父親の手術誓約書の存することを確かめただけで、原告本人に対する承諾の手続は被告病院担当医か受持医が行なつているものと考えて、その説明に基づく承諾を得る手続をとらなかつたことが認められ、そうとするならば、被告岩田は被告病院が原告の承諾を得ているものと軽信し、その承諾を得なかつた点において医師としての注意義務を怠つたものといわねばならない。
5 むすび
以上の理由により、被告岩田による本件手術はその余の事項を検討するまでもなく、精神外科ね最終手術性の制約に反し、かつ、原告本人の承諾なくして行なわれたもので、この二点において違法であるところ、被告重冨は被告病院を経営し被告岩田を雇傭していたことは前認定のとおりであるから、被告岩田は民法七〇九条により、被告重冨は同法七一五条一項により、原告に生じた後記損害を賠償すべき義務を負うものといわねばならない。
六損害
1 逸失利益
前認定の原告の現在の諸症状に照らせば、原告は本件手術後の数年間は軽易な労働も可能な状態にあつたが、現在では右諸症状の悪化により、日常生活上の諸動作は可能であるものの、終身労務に服することができない状況にあるものということができ、従つて、原告は、その身体的・精神的諸条件によつて将来にわたり稼働能力を全部喪失したものと解するのが相当である。
そこで、原告の本件手術前の稼働状況をみるに、前説示のとおり、原告は商業高校中退後、根気がなく怠惰な性分からどこの職場でも長続きせず、調理師、土方等の職を転々とし、本件手術までの間に、強盗、恐喝、窃盗等の犯罪を重ねて約六回にわたり合計約八年間各地の刑務所に入所していた事実に鑑みるならば、原告が通常一般人と同程度の稼働能力、あるいは稼働意欲を有していたものとは到底いえず、将来まじめに稼働したかどうか疑しいといいうる余地すら存するところである。しかし、諸般の事情に照らすと、原告に関して将来の稼働する可能性の全てを否定することもできないというべきであつて、右の各事情を総合し、その稼働能力は今後の稼働期間を平均して全男子労働者平均の二割と認め、稼働期間も本件手術施行の後である昭和四八年一二月(四一歳)から六五歳までの二四年間とみるのが相当である。しかも、原告の現在の諸症状は術前性格に本件手術と向精神薬の影響が複雑に競合して発生していることから、原告に生じた全損害を本件手術に基づくものとすることは不法行為責任としての損害の公平な分担という観点からみて妥当を欠くこととなり、このような場合には、本件手術の過失が原告の現在の詳症状に寄与したと認める限度で損害賠償責任を負担させるのが相当である。そこで、前説示の原告の術前性格及び行動、被告岩田の本件手術内容及び程度、向精神薬の影響等を総合考慮すると、本件手術上の過失の寄与の程度は四割と解するのが相当であるから、被告らは原告の損害のうち四割につき賠償責任を負うものというべきである。
してみると、原告の稼働能力喪失による逸失利益は、昭和五三年度賃金センサスによる全男子労働者平均賃金年額金三〇〇万四、七〇〇円の二割に二四年間の中間利息(年五分)を控除したホフマン係数15.49972472を乗じた額である金九三一万四、四〇四円に、前述の寄与率に従いその四割を算定すると、金三七二万五、七六一円となる。
2 慰謝料
原告は現在の身体的・精神的諸症状により甚大な精神的苦痛を蒙つているであろうと思われる。しかし、一方、前記逸失利益の中で考慮した本件手術の内容や原告の現在の諸症状の発生原因等も慰謝料算定上考慮すべき事情である。そこで、以上の事情のほか本件にあらわれた一切の事情を斟酌すると、被告らが原告に支払うべき慰謝料額は金五〇〇万円と定めるのが相当である。
3 弁護士費用
本件訴訟の難易及び経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、被告らが原告に対し賠償すべき弁護士費用は金一八〇万円をもつて相当と認める。
七結論
<省略>
(小沢博 谷口伸夫 東尾龍一)